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人形浄瑠璃文楽

桜の開花を目の前にして、高知もだいぶ暖かくなり、晴天、曇り雨の天候が交互に入れ替わる時期になりました。

今日の話題は、六世竹本土佐太夫の軌跡展が昨年から、今年の三月末まで、安田町まちなみ交流館で開催されている時期に、人形浄瑠璃文楽の講演が安田町であるということで、地元の友人を誘って見に行きました。

出演者は語り歌い上げる、太夫と三味線の奏者それに、人形を操る方々で構成されていて、私にとってじっくり鑑賞するのは初めてでした。

演目は、「壷坂観音霊験記」の「沢市内より山の段」で休憩を挟んで二幕、約一時間半の講演でした。

あらすじは、奈良の壷坂寺近くに住む、お里・沢市の夫婦、目の不自由な沢市は、女房お里の手内職を頼りに細々と暮らしている。

そんな折、毎夜お里が明け方に家を抜け出しており、もしや浮気をしているのでは。

との思いから「ほかに好きな男ができたんじゃなあいのか」問い詰める沢市、お里は、沢市の目が開くよう壷坂観音へのお参りに通っていたことを打ち明ける。

沢市は誤解を詫び、その夜、共に壷坂観音にお参りに出かけることにした。

参詣を済ませ、お里を先に家に帰らせた沢市は、愛する妻の足手まといになっては申し訳ないと、谷底へ身を投げる。

沢市の亡骸を発見したお里も、悲しみのあまり後を追って身を投げた。

そこへ現れた観音様のご利益により、二人の命は助かり、沢市の目も開いた。

お里の献身的な愛情が奇跡を起こす文楽には珍しいハッピーエンドの演目である。

人口減少の高知県で安田町は、中芸に位置し、人口2,500人程の小さな町ですが、講演には、近隣や県各地、県外を含め600名程の来訪者で会場は一杯でした。

安田町の安田川下流の平野部は、温暖な気候と自然環境に恵まれ、施設園芸発祥の地として発展し、ナスやミョウガ、トマトなどが盛んに栽培されています。

清流安田川は鮎釣りのメッカで、流域にはキャンプ場も整備し、シーズンには多くの観光客で賑わいます。

神峯山には、四国霊場27番札所などがあり、安田町の自然と歴史、文化を散策することができます。

私が感じるのは、地元の人たちが幸せに暮らしているということです。

60キロの道のりを車で走って会場に着きましたが、友人以外にも狭い高知ゆえに何人かの知り合いの合うことができました。

特に、狭い地域だけに、人と人の繋がりが強いと感じるのと、昔から独特の文化の香りを感じることができます。

この町は、うたい文句に「やすだ時間」といって、ゆったりと過ごせる感じが伝わります。

この地域は、安田町や田野町、奈半利町を中心に、北川村、馬路村を合わせて五つの町と村で独特の魅力を感じることができます。

物流の話になると、高知県は東西に長いので、多くの農産物が栽培されているのですが、やはり、物流がネックになっている地域でもあります。

この地域の皆様とも、物流・流通の改善案を検討しているところです。

平成31年3月21日

よさこい祭り

高知市では、よさこい祭りが毎年8月9日から8月12日までの4日間開催されています。

全国的に猛暑が続く中で、今年も盛大に開催されました。

ここ、2年程は殆ど高知に在住している私ですが、両親の故郷、高知の夏の元気さを体感することができました。

今年も高知市内の9か所が踊りを競う競演場で、7か所が演舞場になります。

今年、第65回を迎えた「よさこい祭り」は、第二次世界大戦後の不景気を吹っ飛ばそうと高知市の商工会議所が企画したのが始まりで、1953年「隣県の徳島県で行われている阿波踊りに負けないお祭りにしよう」と考えたとのこと。

第1回は1954年に開催された。日取りについては当時の気象データーで過去40年間最も晴天率が高い、8月10日11日に決めたとのこと。

よさこい祭りには基本的なルールがあります。

参加人数が一チームあたり150名以下であること。

鳴子を持って前進する踊りであること。

曲を自由にアレンジすることができるが必ず「よさこい鳴子踊り」のフレーズどこかに入れること。

チームの先導をする地方車(じかたしゃ)は一台で車両の大きさは制限されている。

各チームが目指すのは各賞で、前夜祭(8月9日)、本番(8月10日11日)、後夜祭(8月12日)其々、数多くの賞が設けられています。

毎年盛り上がる「よさこい祭り」ですが。

今年の参加チームは206チームで、踊り子は1万8千人とのこと。

もちろん各競演場、演舞場の見物客も多く前日から場所取りも行われています。

大筋には専門の有料の観覧席も設置されて、観客も多く、演舞者と一緒に盛り上がります。

今回、私は3日間、中央公園の近くの大丸の南側で、友人が赤牛の串焼き、かき氷、生ビールを販売する脇で、きゅうりの浅漬け一本串刺しを氷の上で冷やして販売しました。

踊り子たちは、冷えたきゅうりを美味しそうに“ほーばって”いました。

朝から晩まで、よさこいの曲が流れる中で、来場者と会話を楽しみながら、高知の元気さ(特に女性)を肌で感じ、その場にいる自分の幸せを感じたしだいです。

平成30年8月15日 鍵山 武男

高知オーガニック・フェスタ

12月に、高知市で第一回の高知オーガニック・フェスタが開催されました。

2020年日本で開催されるオリンピックを3年後に控え、国際的にオーガニックに関する関心が高まる中で、現状の日本の農産物の栽培は現状で良いのか、多くの生産者から生活者まで疑問が投げかけられています。

こうした中で、高知でも、地域の生態系を維持・利用し、自然と共存する。

そんな有機農業の考えに共感する人たちの集まり、楽しく交流できる場として、オーガニック・フェスタが開催されました。

約50社の有機栽培の生産者が商品を持ち寄り店頭販売しながら、来場者と交流しました。

フォーラムの基調講演は、NPO法人森は海の恋人、代表の畠山重篤氏が体験談から有意義な取り組みの話をされ、パネルディスカッションには、地元有機栽培の推進者・指導者、
土づくりの専門家、野菜ソムリエで高知県観光特使の皆様で有意義な議論が展開されました。

会場からも前向きな議論が出され、有機栽培の推進の必要性について、参加者が理解を深めたフォーラムになりました。

最近では、首都圏の量販店の中には、有機栽培の作物のみを販売する店舗もできつつありますが、現状の物流・流通の仕組みが十分対応できない状況にあります。

私ども、農業生産物の栽培、加工、販売の六次産業化に取り組む立場としては、地域の有機栽培の生産者と歩調を合わせて、JASやGAP認証の統一した取り組みを進め、土づくり等の栽培の原点から見直し、着実に取り組む必要を感じています。

作物の収穫後の販売先に関しても生産者の立場から、連携して取り組める組織づくりの必要を感じますし、まずは生産者が利益を上げられ安心して栽培ができるプラット・ホームも必要です。

更には、販売先までの物流・流通のシステム作りが新たな課題でもあります。

通常の商品と差別化された有機栽培の商品の独自システムが維持されなければ無意味になります。

生活者へ届くまで有機栽培の商品のトレーサビリティの確立と価格戦略が課題です。

国内の流通システムが確立されれば、海外への有機栽培の作物の輸出も可能になります。

平成28年12月27日 鍵山 武男

高知城、光の祭

平成最後の年末になります。

高知に滞在し始めて4年近くになりました。

両親のルーツが高知県ということで、サラリーマン生活の時代をはるかに過ぎてから住み着くことになり、
女房・子供を東京に置いて、郷里である高知の父の実家で農業法人を仲間と立ち上げ、徐々に土佐人の仲間入りとなり、終活の準備なぞは一向に進まず、よせばいいのに新たな取り組みが喜寿(77歳)を迎えても止まりません。

あらたな歳を目前に今年の年末年始もイベントに参加します。

お祭り好きの高知に住んでいると、一年中がお祭りで過ぎていきます。

年末11月22日から新年の6日まで、高知城では、光の祭です。

今回始めてチームラボによりDIGITIZEDKOCHICASTLEというアートプロジェクトをおこなっています。

夜の5時半から9時半まで、二の丸、三の丸でこの光の祭りが行われ、多くの市民や観光客が訪れています。

追手門からすぐの、わきの飲食・物販ブースには9店舗ほどが出店しています。

ブースの奥には舞台があり、お神楽や、文楽などの催しが演ぜられます、
私は仲間とそのブースの片隅で、焼きそばをホットプレートで作っています。

この焼きそばは、特製のたれである弊社販売の「にんにくやきにく極みたれ」と塩コショウで味付けしたもので、具としては自社栽培の「青ネギ」と四万十ポークをいれたもので、上品な味で美味しいと評判の逸品です。

勿論、その場で、その「たれ」と、ネギ味噌の商品の販売もしています。

同じブースのE氏はもともと飲食店経営の専門家で、土佐の赤牛の串焼きやビール、ワインの販売などで、奥様と魅力ある商品を販売しています。

私の楽しみは、焼きそばの販売を通して、そこに来られるお客様と世間話や焼きそばの味に関してやり取りをすることです。

我々、食品ブースの出店は残すところ、12月31日(大晦日)と元旦から6日までになります。

従って、年末年始は家族と離れてお城で過ごすことになりますが、なかなか経験できないことなので、それなりに楽しく仕事として取り組みたいと考えています。

読者の皆様どうか良い新年をお迎えください。

平成30年12月10日 鍵山 武男

イベント好きの土佐の風土

都会生活を長く経験している筆者が特に感じているのか定かではないが、高知に長く滞在して感じるのは、年間を通して多くのイベントがあることに驚き、いつの間にか、じぶんもそれに参加していることである。

特に予定がなければ、いや、かなり優先的に出向いているのが、毎週土曜日、高知市内で新港に近い池公園で開催される、オーガニック・マーケットで、これには、農産物を中心に、健康志向で、こだわりのある方々が、毎週買い物に来る、生産者と、お客が近い関係である。

私は、40店舗程の殆どすべての生産者と言葉を交わすと、特に親しい、山間部(大豊)からの生産者の所で多くの時間を割いて談笑する。

ここの方からは春先に乾燥ゼンマイを仕入して販売させてもらっている。

夜明けとともにテントを張って、夏場以外は午後2時頃までで終了する。

出店者は翌週一週間かけて商品の用意をして準備するので、土日に販売が終了すると、親しい仲間と遅い昼食を一緒にする。

生産者にとってこの時が、一週間の唯一のくつろぎの時間である。

私も度々参加させてもらっている。

更に、出来るだけ出向いているのが、毎週日曜日に開催される、土佐の日曜市である。

高知城、追手門から東へ1,3キロに300年続く市である。

私にとって、多くの生産者と触れ合い、季節ごとの農産物や果物に関して知識を得ることができる勉強の場でもある。

ここ数年通い続けているので、多くの出展者と親しくさせて貰っている。

この日曜市も、高齢化の現象により、最近は店舗の並びに空きスペースがかなり目立つようになってきている。

主催する高知市は、長く続いているこの市を引き続き維持しようと様々な施策を検討している。

その一つが、高知市を中心にした、高知県下の各地域との連携を計ることをも考慮して、市場の空きスペースを9の地域に参加してもらうために、テントも用意している。

私は、地元の観光協会からの要請もあり、香美市の当番の日曜日には、出店者として、
自社の製品(やきにくのたれ、ねぎ味噌、青ネギ等)を持参して、来店者と会話するのを楽しみにしている。

以外にも、観光客、国人の旅行者も多い。

その数週間だけでも、地元の駅前、土佐山田駅周辺のエビス商店街の二日間のお祭りにも、友人と飛び入り参加した、昨日は、土曜市の方々が、月曜日の敬老尾の日に、別の場所で、ローカル・マーケットを出すので、見に来て欲しいとのことなので、友人を誘って、JAが農産物を中心に販売している「そさのさと」とサニーマート(スーパー)の間にある通路でのイベントを見学に出向いたところです。

その前日には、高知街ララ。

ララ音楽祭が、彼方此方で開催されていたばかりです。

何故このように、頻繁にイベントが開催されるのか、地方都市、高知市だけではないと思われますが、それにしても、高知人のエネルギーには驚かされるものがある。

高知県としては、地産・外商に力を入れているが、地産・地消のためには、これらの多くのイベントの機会が必要なのかもしれない。

私も出来るだけこの風土の中に溶け込んでいこうと思っている。

土曜夜市

高知市中心街で、6月末の土曜から、7月すべての土曜日、合計5日間の土曜の夜に開催されるのが、土曜夜市です。

よさこいタウンとして今年で44回目になるそうです。

高知市の中心街といえば、帯屋町、大橋通、京町、新京橋とそれぞれの商店街が中心です。

夏を目の前にして、家族ずれで、夜の商店街が賑わいます。

金魚すくい、ヨーヨー釣り、スーパーボールすくい、屋台は、串焼き、焼きそば、フランクフルト、かき氷等、アーケード内に各ブースが目白押しで並びます。

大人も子供も大いに楽しみます。

私も、友人に誘われ、中心地の大丸デパートの入り口付近で、場所を構え、焼きそばを主に販売します。

その中身は、自社で栽培している青ネギを沢山入れ、それに、玉ねぎ、キャベツを入れ、高知でブランドとして確立している、四万十豚をいれ、美味しいタレで仕上げます。

その外には、地元の新鮮な“きゅうり”の浅漬けを一本串にさしてダイナミックに食べてもらいます。

それ以外は青ネギを束にして安く販売したり、加工品としては、焼き肉のたれ「にんにくやきにく極めたれ」と自社栽培のネギを入れた「ねぎ味噌」も販売します。

同じブースで、友人のE氏は、ブランド牛、赤牛の串焼きや、ソーセージを、生ビールも併せて販売します。

隣のブースでは、ブランド豚の串焼きや、タコ焼き等が人気です。

今年は、梅雨の季節の最中の夜市となり、雨の日が多く来場者が少ないのではと、毎回心配しています。

天気が悪いと当然人出が少ないわけですが、なかなか読み切れず、材料の仕入れに苦労します。

限られた時間の中での販売になりますので、多くの利益は期待できませんが、参加することに意義ありですが、材料費+アルファ―ほどは、販売したいものです。

そこは、高知人で、天気が悪くても、そこそこの来場者があるので救われます。

週末の土曜日ですので、県外からのお客様も多く来られていて、どこから来られましたか、県内の方ですかに始まり、商品をお渡しする間の会話が楽しいひと時になります。

徳島、香川、愛媛からは勿論、多くの方々は、京都、大阪、神戸、岡山等から、週末をエンジョイするために、遥々、来てくれます。

中には、高知のイベントを調べて、毎月のように訪ねてくれる方々も多く見かけます。

県内、県外以外にも、最近は年間60隻程の大型客船も寄港する関係で、日中には、外国語が町中のいたるところで飛び交っています。

商店街の他に、最近では、観光客に人気の、ひろめ市場も夜市の会場の一つであることから、通常以上に賑わいを見せます。

ひろめ市場については、前にご紹介しましたが、高知城に近く、一つ屋根の中に、多くのお店が軒を連ね、好きなものを購入して、広場のテーブルで仲間と談笑しながら、昼間からアルコールも飲める、独特の環境と楽しさと雰囲気を楽しめる場所で、同じテーブルに座れば、誰彼となく、声をかけ合い、すぐに会話が進みます。

このように、和やかに親しめる場所の多い高知ですので、この交流の機会を楽しみながら、それぞれの皆様の人生の糧になればと願います。

高知万歳。

大政奉還から150年

黒船来航に沸く江戸での剣術修行を終えて故郷に戻った龍馬に衝撃を与えたのは、土佐藩絵師・河田小龍から聞いたジョン万次郎の話だった。

土佐清水の漁師だったジョン万次郎は、漂流の後アメリカへ渡り、11年後に当時最新の知識を持ち帰った人物。

龍馬は、欧米列強が覇権を競う世界の厳しい現実を知ることになる。

26歳の時。

武市半平太が結成した土佐勤王党に加盟。

最初に脱藩した吉村虎太郎の後を追い、日本を変える活動に身を投じていく。

そして、江戸で勝海舟の門人となった龍馬は、松平春嶽や西郷隆盛らとのつながりから、日本のため開国による国力増強を必要とし、海運事業を興す。

慶応2(1866)年、盟友・中岡慎太郎と共に薩長同盟を成功させる。

土佐藩も同調し、参政・後藤象二郎は、海運事業への出資や後に三菱グループの租となる岩崎彌太郎の派遣を通じて、龍馬と海援隊を支えた。

活動の集大成は、薩長による武力倒幕の気運が高まった慶応3(1867)年6月のことだった。

無血革命を願う龍馬は、大政奉還を盛り込んだ「船中八策」を提案。

それを受けた後藤象二郎は、前土佐藩・山内容堂に進言。

これが15代将軍・徳川慶喜への建白書となったのだ。

徳川慶喜は、その四か月後、朝廷に大政奉還を上奏。

これが明治維新へとつながり、ここに龍馬の大願は成就することになる。

龍馬たちを育んだ高知には、温暖な気候、山や川、海の風景、自然の恵みが贈る美味がある。

彼らは、何故こんな豊かな故郷から旅立ち、世界を変えようとしたのか。

坂本龍馬が京都で暗殺される5日前に書いた書簡が最近確認された。

「新国家」という言葉から、新しい幕府ではなく、新しい国づくりを目指していたことがわかる。

この時期に合わせ、土佐の歴史と文化の新拠点として「高知城歴史博物館」がお城の前にオープンしています。

更には、桂浜の「県立坂本龍馬記念館」を改装するために、その展示物が日本の各地で披露されているようです。

この、6月には、東京・目黒のホテル雅叙園東京でソフトバンクとの共催で展示会が予定されています。

そこで、筆者は仲間と高知への移住(CCRCが中心)と美味で多様な食材並びに観光の促進のために展示期間中の6月5日(月曜)に第六回の「南国土佐まつりIN東京」を盛大に開催するべく準備をしています。

民間で企画・推進していますが、高知県や高知市も後援していただいています。

どうか皆様お誘い合わせの上ご参加下さい。

龍馬ゆかりの自治体は勿論、多くの高知県の企業や団体が参加してくれます。

このような機会を活用して、高知県の農産物や加工品の首都圏への販売、物流・流通の効率化に関しても学習していきたいと考えています。

平成29年5月3日 鍵山 武男

幕末明治土佐学講座

一般社団法人高知サマサマCCRCセンターは、この度、早稲田大学エクステンションセンターが開催する春の公開講座に、「幕末明治土佐学講座」を4月7日より全10回開催します。

今回は10回目が終了する、6月16日(土曜日)に高知の食材、地酒をふんだんに持ち込み、大懇親会「南国土佐まつりin 東京」を「リーガロイヤルホテル東京」にて開催しますのでご参加を予定頂ければ幸いです。

先日、4月7日の第一回の講座開講時に、ご挨拶をさせていただきました。

早稲田大学本校,政経学部の教室は180名の受講生で溢れるばかりでした。

やはり、シニアの方が大半でしたが、多くの女性の方や、若い方もお見受けしました。

講師の藤田雅子(高知県立高知城歴史博物館学芸課長)の話が始まると、皆さん集中して耳を傾け、時折メモを取るなりして熱心に受講されていました。

順調にスタートしたことで主催者としても安堵したところです。

我々は、この講座をきっかけに、多くの高知ファンができることを期待し、高知県へ出向いていただき、地元の美味しい食や、観光を通じて、より親しく、身近に高知を感じて欲しいと願っています。

講座の後半には、高知を訪問していただく旅行のプランもご案内する計画です。

学んでいただいた土佐の歴史と偉人を偲びながら、土佐の旅を楽しんでいただき、出来れば何度も訪問していただきながら、短期・長期の滞在の計画も検討いただき、Uターンの方々のみでなく、縁もゆかり無かった高知へ移住・定住も検討いただくことを願っています。

我々のCCRC活動は、人口減少や少子化に対応するものでもありますが、新たな社会形成へと変化して、より楽しく、生活も仕事もでき、地元の方々との交流を通じて、更には、新たな産業や環境が形成されることを望んでいます。

従って、個別の動きだけではなく、多くの方々の交流を通じて、新たな価値が創造されていくことを期待するものでもあります。

そのためには、組織を牽引する立場にある、我々、CCRCセンターは限りなく、新鮮な活動を推進しながら、皆様からの英知を頂き、地域が歓迎し、頼られる組織として発展しなければならないと感じているところです。

皆様のご参加もお待ちしています。

平成30年4月23日 鍵山 武男