◎第384回 スポーツと健康 (令和元年10月11日)

テニスは今も継続中

ロッキーズテニスクラブも始まる

 人生100年時代といわれ始め、健康寿命に関して、関心が高まっているように感じている。筆者もあと数日で79歳になる。同年輩の友人も元気な方が多い反面、既に亡くなっていたり、具合の悪い方も増えている。医学が発達している現在なので、延命治療で多くの方々が病院で過ごされている知人も多くなった。
 私自身のことでいえば、具合の悪いところや、医者に指摘されている、血圧や血糖値に関してあまり自慢はできないが、少なくとも食欲も旺盛で、皆に食べ過ぎだと批判されるケースもあり、今のところ自覚症状はなく元気に過ごしている。もちろん、主治医には食生活の改善をと、常に信号を鳴らされている。

 私の兄弟は5人いたが、長男は生まれて間もなく亡くなっていて、1歳上の兄は激務のサラリーマン生活の後、自分の好きなことをして過ごしていたが60歳半ばで亡くなり、一番下の弟も40台で難病を患いなくなってしまった。現在、元気で生きているのは妹と、私だけになっている。
 私が元気でいられるのは、両親から頂いた健康な体のおかげかもしれないが、やはり日頃の運動好きなところにあると感じている。本来、人間は動物であり、それなりの運動は必要なわけで、現代の社会では適度な運動を好きでするか、健康維持のためにするかを心がけないと、人間の内臓も含めた機能が低下すると私は考えいる。
 自分の人生を振り返ると、小学校2年までは愛媛の今治で過ごしていて、野原や河岸を駆け回っていたし、その後、東京での生活も運動ができる環境にあったと記憶している。運動好きの私は、中学校では山岳部に入り、普段は校庭で幅跳びや三段跳びをやっていた。高校ではバレーボールを部活でやっていた。当時は6人制ではなく9人制で、身長がないので常にレシーブ中心のバックのポジションでした。部活が終ると、体はぐったりしていたが、毎日運動後の爽快な気分を味わっていた。
 大学の3年間は、空手部に入り部活の毎日だった。厳しい練習に加えて、その頃からテニス部の友達とテニスを楽しんでいた。
 このテニスは現在も続けている。大学を卒業後も、40代半ばごろまではバレーボールや空手も遊びで楽しんでいたが、運動の中心はテニスになった。特に、アメリカ、シカゴの駐在中の4年間と、香港の駐在中の3年間はほぼ毎週、ラケットを握っていた。東京へ戻ってからも、仲間を探して続けていた。地域の大会には何度も参加したし、今でも東京へ戻ると仲間に声をかけて、テニスを楽しんでいる。今は、ほとんど高知に滞在しているが、テニスは継続している。
 若い方々に入れてもらっているテニスは、近くの中学校のコートで毎週月曜日と金曜日の8時から10時の時間帯に、できるだけ参加するようにしている。後は、東京での友人で高知にUターンされた方と月に2回ほど、彼が所属しているテニスクラブで楽しんでいる。
さらに最近では、知り合いの婦人から「初めてなんだけと、テニスを教えて下さい。何人か集めるから」と依頼され、私のニックネームであるロッキーをチーム名にして、高知のセレブのテニススクール“ロッキーズ・テニスクラブ”が始まっている。

2019年10月11日